コーチングでは一人の人を個として扱い、個と個で対面します。しかし私は少し違った考え方をしています。 1対1で対面しているときも、複数対複数でとらえて、集団をファシリテーションしている感覚です。その集団がまるごと全部で、その瞬間の生命体だと考えています。
私は、人は自然の一部なので、周囲との関係で存在の仕方が変わると考えているます。私にとって、コーチングは個と個が分断されていることが前提にある、西洋的な人間理解にもとづいていると感じられ、不十分だと思えるのです。
その点NLPは人をパートの集合体として捉えるので、人をエネルギーの集合的流れと捉えている私には馴染みます。私の考える、人間というエネルギーの流れは、オープンシステムであり、広がったり狭まったり、増えたり減ったり、常時変化しています。
自分の体と空気との境界面が個の区切りだと思っているのは、単に自分がそう思っているということであり、そのように「認知」していることを示すにすぎません。人は周囲と作用し続けており、外界との境界線は身体より広いことも狭いこともあります。
たとえば、自分のネガティブパートが他の人のネガティブパートと集合したとき、人は自分でも思っていなかったほど、ネガティブな人として舞台に立つことになります。ポジティブなパートでも同じ。集合した流れは強く、自分を超えたものに動かされるような行動となります。多くの人の言葉にならないエネルギーの憑り代(よりしろ)となるのです。
個というのは可変的なもので、コーチとクライアントの間でも、自他の境界は変わるのです。もし目に見えるのだったら、それぞれを包む風船が、広がったり縮まったり、くっついたり離れたりしているに違いありません。自分が消えてしまうことだってあります。
個が独立した存在だという考え方には同意しません。コーチはよく、答えはクライアントの中にある、といいますが、そうではないのです。クライアントとコーチが、一緒に作り出している時空間に、答えは立ち現れるのです。
自分にあるのでもない、相手にあるのでもない。自分と相手の間に生まれるのです。
無から有が生まれるこの事象は、価値の創造そのもの。私はコーチングを、可能性という名で流れている2人の潜在的エネルギーを、反応させ、発酵させて、新しいエネルギーの流れを生み出す創造行為だと信じています。
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